自然素材にこだわる、匝瑳市、旭市の注文住宅ならやままさの家

やままさの家

代表よりご挨拶

 ホームページをご覧の皆様こんにちは。匝瑳市、旭市、横芝光町、九十九里海岸を拠点にやさしいままの家=優しいママの家をご提供致しております株式会社ハウジングイノベーション代表の林と申します。
「僕、大きくなったら大工さんになってお父さんに日本一大きな家を建ててあげる」
7歳時の私です。
父、笑いながら「犬小屋か?」
父、私「アッハッハッハッ……」
父は工務店、祖父は解体屋、叔父はクロス屋を営んでおり代々続く職人一家の中、私は産まれました。いつも沢山の職人さんが倉庫や駐車場に溢れていました。
 休憩所では宿題をしながら職人さん達とよく話をしていました。カナヅチやノコギリを上手に使う父の姿がとてもカッコよく、眩しく見えました。その時、初めて大工になろうと決心しました。小、中学校、高校と野球漬けだった私は高校卒業後、10歳の頃、決心した思いは揺れる事なく大工の道へ進みました。
 当初、厳しさに耐えきれず何度も何度も挫け辞めようと挫折した日々が続いたある日だんだん大工仕事が面白く、完成した時の達成感や責任感も身に付き始めました。2年半が過ぎた頃、現場を1棟任され、仕事の面白さといい仕事をすれば、お金は勝手に付いてくる事を学びました。親方の口癖は見えない所まで良くやれ! でした。ダメな物は目の前で壊されました。
 私自身にもその教訓が身に付き更に自分自身でも課題を取り入れ技、早さ、正確性を常に求め日々、努力、精進することの楽しさまで身に付きました。25歳の時、お盆休み中、父と飲みながら住宅の事について語り合っていた時「東総地域で一番信用され一番の受注数を目指そう」と言われた一言で更にやる気心に火が付き自分自身の覚醒に成功しました。
 独立してから10年過ぎた頃、父から世代交代を言い渡され父は千葉県中堅ハウスメーカーの大工として私は今まで父が作り上げて来た従兄弟、親戚、近所、OBのお客さんつまり経営を任されました。当時は大不況の真只中父が築き上げた信頼のおかげで物件受注は順調でした。1棟1棟丹精込めて、お客様の満足を頂ければ、受注は順調に伸びると。それこそが自分の決定的な甘さでした。お客さんはいい仕事をすれば、口コミもしてくれるし必ず根付いてくれると勘違いしていました。事実、新規のお客さんを探そうなんて思ってもいませんでした。
 5年過ぎた頃、案件すらなくなってしまい、そこに神様が悪戯したかのような父の突然死(心筋梗塞)昨日まで一緒に仕事をしていた父はもういない。病院に行って顔を見た時、涙すらでなかったのです。
「何故だ、何故なんだ……自分が無理をさせたから」なんて自分を責めました。「でもクヨクヨ考えている場合じゃない子供も4人いるし、仕事を取らないと」不安と絶望の中、焦りばかりが前に進み何をしようか、悩んだ末始めて広告、宣伝をしようと決断しました。とにかく無我夢中にやるしかない従兄弟、親戚、友達自分の知っている人すべてに顔を出し、仕事の受注をお願いして回りました。
 それに付け加えホームページやFacebookを活用し少しずつではありますが仕事も順調に増えてきました。そして忙しくなってきたある日またもや悲劇は突然起こりました。
 当時、5棟くらい現場が重なり現場を回りながら、大工もしていました。本当にパニックになりそうなくらいでした。当時、建築中のO様邸の大工さんが大工発注書契約をしたのにも関わらず逃げられてしまい、私の気遣いが足りなかったと落ち込み、反省しながらO様邸とS様邸の同時進行を行いました。午前8時から午後3時まではO様邸、午後3時半から午後9時頃までS様邸を進めていました。もう体も心も限界でした。休憩中に下を向いていた時S様が「棟梁どうした?」私「あの、実は……」すべてを話しました。
S様「棟梁、家は後回しでいいから、向こう仕上げてからこっち仕上げなお客さん不安にさせるなよ」とその言葉に涙を噛み締めながら深々とお辞儀をした瞬間、涙が溢れ出して来てしまいました。
 その後は無事、2棟とも引き渡しまで何事もなく進みましたがお客様のあの言葉に救われ施工店とお客様の関係だけではなくただ建てるだけではなく人と人との助け合い、お客様を助ける住まい作りをお客様に合った無理のない資金計画とプランニングを考え始めました。
 そんな時、私の子供が小児喘息とアレルギーになってしまい住まい、食べ物、体を勉強したのです。
 住まいではビニールクロス、塩ビシートフロア、塩ビシートドア、接着剤類食べ物では添加物、着色料生活において、動物の毛、絨毯などなど今の日本で当たり前の商品が喘息やアレルギー体質の方には当たり前ではない。
 私のとった行動はクロスを漆喰に床を自然無垢フローリングに貼替ました。嫁は食事にも気を使い当たり前の食事が当たり前じゃなく当たり前の家が当たり前じゃなかった。その時「もしかして、子供が小児喘息になったから気付いただけであって、何事もない人は当然当たり前だと思っている」
 今までの私も当然、当たり前だと思い込んでいた。
 今、私にできることは、「1人でも多くの人にこの事実を知らせないと」と強く思いました。家の天然素材を調べれば調べるほど、フローリング、漆喰、クロス塗料、クロス用デンプンノリ、畳など家の中すべてが自然素材で提供できることを知りました。自然素材の家を提供すれば、シックハウス症候群やアレルギーも改善できると確信しました。食べ物に関しては昭和50年代のご飯を主食とした魚や肉、野菜、果物、海藻、豆類(無農薬)など「日本型食生活」をお客様にお伝えします。ここまでの話の内容をお客様にご理解いただければアレルギーやシックハウスを必ず改善できます。家の仕上がり、建物を細部にまで見る自信は弟子時期に身に付いているのでクレームもほぼ100%ありません。クレーム電話と言っても機械の消耗品くらいです。今は新規のお客さんやOBのお客さんと資金計画や間取りはもちろん最近では高校、大学を卒業できるまでの計画やなども取り入れながら笑顔で商談もできるくらい楽しい打ち合わせができています。

 竣工、引き渡しまでは言うまでもなく私の鋭い目(歩く顕微鏡)が光っていますのでお互い笑顔で引き渡しお互い感謝しつつ素晴らしい人間関係を築き上げている次第です。匝瑳市、旭市注文住宅をお探しならやままさの家にお任せください!

最後にもう一度、
やさしいままの家
=優しいママの家
を提供致します。

ずっと、やさしいままの家

和モダンの家 ぬくもりの家光と風を感じる家 ヴィンテージな家人間にとって「家」は生きるために必要なものです。それは、時に厳しい雨や風、太陽から身を守るため、そして、動物や外敵の侵入を防ぐためにもなくてはならないものなのです。ピカピカの新築を建てたとき、感動と共に家族をやさしく包んでくれる存在になる家。ですが、そんな家族を守ってくれるはずの家に、家族の健康が少しづつ奪われることが起きていると聞きます。
はじめはやさしかった家が、徐々に本性を表してしまったのです。「接着剤で貼り合わせた合板フローリング」「塩ビで出来たビニールクロス」合板もビニールも呼吸をしません。「ビニールと発砲スチロールでできた畳」これは本物の畳ではありません。一見すると、ピカピカで綺麗な建材も中身はこうした、大量生産によって生まれた「偽物」 ということがあります。こうした、住宅事情を変えなければいけないという想い、そして、何より家族が安心して住み続けられる家づくりのため、やままさの家は「本物」の建材を使用した 「ずっと、やさしいままの家」 プロジェクトをはじめました。

ずっと、やさしいママの家

では、「本物」を使えば「ずっとやさしいままの家」は完成するのか? 答えは
「NO!」です。それは、住宅にとって、もう一つ大事な要素「デザイン」が重要だからです。外観、内装、インテリア、生活をする上での動線など、人それぞれのライフスタイルや好みに合わせた「デザイン」を取り入れることで、家は長く住み続けることができるかけがえのない存在となります。さらに、もっと踏み込んで言ってしまえば、いちばん、長く家にいるママにとって、間取りだったり、収納だったり、家事が楽にできて、家族が住みやすい空間が「ずっとやさしいままの家」であり、「ずっと、やさしいママの家」となります。

やさしい家は強い家

長く住める、「やままさの家」の標準仕様 ●ずっと、自身に強い:最高等級の「震度等級3」で家族を地震から守ります。 ●ずっと、サビない:すべての家に塩害対策を施します。釘から錆びにくい家。 ●ずっと、あたたかい:自然素材と最高級断熱材が、省エネと住み心地を実現。東日本大震災、熊本地震など、日本ではどこにいても、大きな災害がいつ来るかわからない心配を皆さんが抱えています。
そんな心配を和らげてくれるのは 「耐震」 「免震」 を含めた長く住める強い家です。
「新築の時にはしっかりしていた」 ではなく、ずっと、長い間、安心できることが必要です。例えば、当社は最高等級の「耐震等級3」で耐震性を保証、そして免震性については免震金物を建物内部に埋め込み建物の揺れを最大70%軽減してくれる装置をオプションでお選びいただけます。

伝統と最先端技術の融合。やままさの家やままさの家
心にも身体にも優しい、自然素材の内装アトピッコハウス
家族も、遊びも、仕事も大事。やままさのサーファーズハウスサーファーズハウス